プロベラ
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

11
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--

乾鮑厨師の熱き想い

乾鮑に魅せられた大食漢の綴り 
<< 皇紀2677年 初詣 函館八幡宮 | main | ほしなまこ お造り >>
海賊と呼ばれた男 映画鑑賞と 第一宗像丸

先日、海賊と呼ばれた男  映画を見てまいりました。

原作程に感動が涌かないのは映画化の常ですが、

出光佐三翁の人生に下記事件は表裏一体だったと思います。

この件だけでも映画が出来ると思うのですが、、、

 

第一宗像丸遭難事件を取り上げます。

中高生の頃だったと思います。

図書館で手に取った本が 悩める私の進路を決めました。

 

職務遂行に命を賭した 36人の日本船員
最後の瞬間迄モールス符号を発し続けた渡辺通信長

電文が今も記憶から離れません。

あの本を座右の書にしたい と
当時から思っていましたが市販書籍ではありません。
出光美術館  等にも調べましたが見つける事が出来ません。
そんな折、ネット検索で 入手出来たのです。
ありがたい インターネットで御座います

第一宗像丸。1972トン ガソリンタンカー 
昭和37年(1962)11月18午前8時14分

京浜運河にてノルウエータンカー21634トンを横腹に受け 

10分後に火災 同船乗組員全員殉職
衝突直後、ノルウエー船員は全員職場離脱、生還を遂げてます。
衝突時出火しておらず乗組員一同出火対策に奔走する中

渡辺通信長は海上保安庁宛電文で付近航行船舶の通航を止めるように

要請、出火原因は小型船よりの引火 

最後は、、、、ダヒガデタタイセンスル で終わってます。


当時電波通信事情は極めてお粗末でした。
船舶と陸上の通信手段はは中波帯500khz電信のみ

電波は大変貴重な財産ですから、その後設備された

国際VHFは第2級通信士以上の資格が必要でした。
信じられないでしょうが、隣を航行する小型船舶との
交信手段も無かったのです。

百トン未満の小型船は無線設備が不要でした。

又百トンを超える船舶でも、周波数帯が異なり

大型船との通信手段はありません。

更に陸上 新聞社、放送局も通信網が非力な為
現場の状況を東京では把握困難な状況でした。

当時外国乗組員の一瞬の判断を称えた記事も御座いました。
当時からマスゴミはいい加減でした。

一つしか無い命、誰も命が欲しいのは当然です。
乗員一同、各部署で防火対策 被害拡大の防止に
通信長は付近航行船舶への危険周知を保安部に
要請しておりました。
自らの命を顧みず周辺海域、住民の安全を優先した行為です。

特攻隊員とて同じ心情だったとお察し申し上げます。

皆の為なら命も捧げる日本人。

乗組員は大東亜戦争経験者が多数だったはず。
爆撃、火災、撃沈の恐怖は毛唐以上だったでしょう

日本船員の戦死は軍人に比べ際だって多かったのです。

当時、革靴のそこに金属片を打ち込むのは常識でした
靴底のヘリ止めです。
タンカー乗員はそれを禁止されてます。
化繊の衣類は帯電から発火する事も有り禁止です。
衝突したら発火するのは周知の事実です。
にもかかわらず、全員が職場離脱する事無く
職務遂行の末 全員殉職なさいました。
これを称えなくて、命の無駄使いとはクソマスゴミと

言わずしてなんと言えますか
ゴミは1000年経ってもゴミです。
インターネット普及と共に マスゴミの嘘 でっち上げ
思想扇動が次々に暴かれております。

WGIPの呪縛 徐々に目覚めてきました。
知る熱意さえ有ればインターネットはマスゴミのウソを

即座に暴く文明の利器になりました。

 

第一宗像丸は 出光商店を支えた輸送船群です
当時、同社乗組員だけで無く、巻き込まれた
周辺船舶乗員全員のご遺体回収を命じたのは
海賊と呼ばれた男 百田尚樹氏著書のモデル 
 故出光佐三翁 でございます。
乗組員一同 この方の為なら一命を賭する覚悟が
お有りだったのでしょう。
男冥利に尽きるとは この事では無いでしょうか

 

| 愛国心 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









http://oomaya.musen8.com/trackback/1268389

グルメ ブログランキングへ