プロベラ
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乾鮑厨師の熱き想い

乾鮑に魅せられた大食漢の綴り 
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セポイの乱(1857年)
0700 曇り 外気温22.4度 室温19.2度 無風 凪ぎよく磯舟多数

 153年前の今日 インドでセポイの乱がおきました。
セポイとは兵士の事で、インドではイギリスに雇われた傭兵の事
詳しくはインド大反乱をご覧下さい
1600年代から始まる英国のインド支配
東インド会社 1社に任せられなくなり
直接支配に乗り出したのが真相のようです。

当時のインドは、イギリスの汚物処理場、富の製造工場でした。
清国との、茶貿易で大幅な赤字を解消するため
考えたのが、中国を阿片漬けにしてしまう事

インドで阿片栽培、それを清国に輸出し
あっという間に、貿易赤字解消しました。
そのくだりは阿片戦争に明らかです
このやり方、どっかとそっくりだと思いませんか?

エチケット、マナー、紳士の国 英国
一皮剥けば、北朝鮮とやっていることは同じです。
いや、紳士の国を目指して北朝鮮がお手本にしているのでは?

インド独立の父といえば
マハトマガンジー ですが
その後押しをしたのは、日本陸軍であり

スバス、チャンドラ、ボース
も忘れてはならない人でしょう

日本の後押しが無ければ、英国のインド支配は
20世紀の解決は見られなかったのでしょうか?

インパール作戦は失敗 
「補給は作戦に優先する」兵法の 根本を
無視した牟田口の暴挙
日本兵士に多くの犠牲者が出ましたが
英国インド経営を撤退させた事は歴史の事実です。

インドは、日本人の偉大さを忘れておりません。
極東軍事裁判において戦勝国が敗戦国を裁く矛盾
多くの判事が、感じておりましたが、最も強烈に反対したのが
インドの、パール判事でした。
一連の流れを見ると、白人に逆らう非白人は
常に、見せしめのさばきを受ける 
その落とし前の付け方 
セポイの乱と なんら 変わってないのが
極東軍事裁判の茶番劇でで感じました。

筋を通すこと、真珠に出来て、ハトに出来ない
大和魂 いずこへ?
| 過ぎし日の今日 | 07:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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